セルフ式のコーヒーマシンでレギュラーサイズを頼んだのに、ラージサイズを注いだ校長先生が懲戒免職になり、退職金が0になったそうです。
まったく関係ないのに他人が儲けた話しを聞くとなぜか自分が損した気分になります。人間とは常に相対的に自分の立ち位置を確認する性質があるからです。
人間と主語を大きくしましたが、私だけかもしれません。
逆に他人が損した話を聞くとなぜか自分が潤った気分になりますね。しかしながらこの校長先生はいささか可哀そうだと思ってしまいました。
数十年間真面目……かどうかは分かりませんが職務を全うした先にある最大のご褒美といえる退職金。数千万円という巨額のお金で老後が潤うはずだった。
それが一回あたり70円、合計7回の490円の窃盗でパーになったのです。校長先生は、最初は間違って入れたが店員から指摘がなく、安い値段で飲めるのでやってしまったと正直に話しています。
結果としてこの供述の故意性が決め手となり懲戒処分になってしまった。すこし知恵を効かせ、わざとではない、知らなかったを連呼すれば少なくとも懲戒処分にはならなかったでしょう。
倫理はともかく、犯罪をするならずる賢くならなくてはだめだということですね。
私は常々スーパーで万引きする人間を軽蔑していますが、この万引きにかんしては少し同情しています。
お?ラージで注いでも誰も何も言わないし得しているからいっかとなる気持ちがほんの少し分かるからです。
人間は得をしているときに自分からその得を自ら切り離す行動をとろうとするとき、わずか数十円でも痛みを感じます。
もちろん今回の件は得ではないのですが、心理的にそう錯覚してしまったんでしょうね。
スーパーの棚からバッグに商品を万引きするのと比べて、窃盗という意識がぼやけるのも犯罪の動機になったのでしょう。
自分が倫理的に優れていると自覚していない人間は、こういった事件で学習する必要があります。自分が窃盗しそうなシチュエーションだなと思ったら、そのサービスを利用しないことです。
私が同じような状況になったとして、得したなと魂で感じても、この校長先生を思い出してやめることができます。こういったニュースに意義があるとしたら戒めしかないと思うんですよね。
結論としては得した気分になりたい人間は、半額の刺身をスーパーで買いましょうということで失礼します。