貧乏生活の始まり
自分には稼ぐ力がない、もしくは稼ぐために多大のストレスが溜まってしまい、生きるのが楽しくなくなることを自覚したのが20代の後半でした。この生きづらさがなんとかならないか日々模索したところ、生活費を極限まで圧縮して生きていくという結論に達しました。
稼げないなら使わなければいいということです。
生活費において大きな割合を占めるのが家賃です。
当時働いていた酒屋の主人が家庭菜園用に土地を買って小屋を建てたが、使っていないというので、私はそこで野菜を作り上納することを条件に家賃2000円で住むことができました。
小屋生活は居心地がいいとはいえませんでしたが、工夫をすればなんとか生活することができました。またアパートと違い生活音に気を使う必要がありませんでしたので、その点では快適な生活だったといえましょう。
そしてなるべく労働したくない私は高時給で短時間労働の仕事を探した結果、新聞配達と家庭教師の2つに候補を絞り込みました。朝が苦手でしたので新聞配達は諦め家庭教師を選びました。
年収ベースで50万円稼ぎ、月3万円の生活費で生きていく。この生活スタイルは私にあっていたようで、抱えていた生きづらさは消えていきました。
家庭教師の仕事が楽しくなる
家庭教師の仕事は時給が良いという動機で始めたのですが、なかなか楽しいものでした。私は授業で課題をすぐに理解できるという頭脳を持ち合わせていなかったため、学生時代は大いに苦労しました。
しかしながらそれは悪いことばかりではありませんでした。
生徒が今何に引っかかってるか、どうしてこの問題が分からないのかという心境が理解できたからです。結果生徒の思考を適切に誘導することができたため、私は自分のことを優秀な家庭教師だと自分自身を評価することができたのです。
家庭教師をするまでに就いた職業では自分のことを優秀だと思うことができなかったため、承認欲求が満たされた状態になりました。
生徒が志望校に合格して親御さんに感謝されたときは、仕事で感謝されるなんてことが自分にも起きるのだなと他人事のように感心した記憶があります。
人は自分の能力を発揮することが幸せであるとものの本で見ましたが、このとき私はその言葉を大いに実感しました。
他人から見れば小屋に住み着いたホームレスに毛が3本くらい生えた生活でしたが、主観的にいえば身体、精神共に充実した時代でした。
塾を始める
長らく家庭教師生活に満足していましたが、ある日ネットサーフィンをしていると、塾を開業するのに100万円もかからないという記事を偶然見つけました。
私はその記事を何度も読み返し、頭の中で反芻しシミュレーションしました。このとき徹底した節約生活の結果、使うのあてのないお金が貯金通帳にありました。
私塾はややこしい手続きや資格など一切必要なく、はっきりいえば誰でも開くことができます。少子化や大手の塾との競争など様々な壁はありましたが、100万円程度なら失敗したとしてもリスタートできる。
なにより自分の塾を持てるなんてまるで夢のようではないか。家庭教師はいってみれば根なし草のような感覚がいつまでたっても消えなかったが、自分の塾を持てば、文字通り土地に根付いて仕事をすることができる。
それでもこのときはまぁ面倒くさいし、結局根っからの怠惰な私はなにもしないだろうなと思っていました。
しかしながら次の日姪に塾の開業について話してみたところ、すごくいい!!絶対にやるべきだよ!!と言われ私の中で、そうだやるべきなのだ、今はやるべきときなのだと心の中の細胞が活性化していきました。
机や椅子などの備品の相場と最安値で手に入れる方法、物件の調査、宣伝の方法、授業のやり方、スケジュールなど様々なことをパソコンのテキスト文書でまとめながら、構想を練ります。
買い物は予定しているときのほうが手に入れたその瞬間よりもドーパミンが出るらしいですが、ワクワクする計画はこころを豊かにさせるものだと実感しました。
現在の私
講師一人、生徒ちらほらという零細塾を経営しております。家賃を浮かせるために塾に住み込んでいますが、そのおかげで収入が少なくとも生活が破綻することはありません。
当ブログでは私の貧乏生活をメインに、塾のことやネットの記事の感想などを書いていきます。よろしくお願いします。