
45歳ニートの娘が出産を決意して絶望する80代母の記事を見ました。
「子どもができれば人生が変わるという幻想を抱くケースもあります。ですが、現実には育児は最も過酷な社会的責任です。経済力や支援なしに出産を選ぶのは、本人だけでなく生まれてくる子どもをも追い詰める行為になりかねません」
全くその通りで、ニートにまともな育児ができるわけがないんですよね。足るを知る精神で生きていくならニートでも問題はないですが、身の程を知らなければだめですよ。ニートに育児なんてできるわけがないじゃないですか。
昔の私は出産、結婚、離婚、本人の自由だから他人がどうこういうべきではないという考えでしたけど、塾を経営して貧困家庭のお子さんとも接する機会が増えて考えが変わってきました。
綺麗ごとを抜きにするとやはり不幸なんですよ。彼ら彼女らは不幸だった。そう断言することができる。貧乏でも幸福なんていう言葉は、大人が自分でいうのはともかくとして、子供に押し付けちゃだめなんです。
ですので自分が変わるためだとかそんな動機で子供を産んではだめなんですよ。
貧困世帯に生まれて自分の力で人生を切り開くなんてきれいごとをいっても、マラソンで言えば本来のスタート地点から10キロ後ろから走るようなもんでね。
そのうえどうやったら体力をつけられるとか、疲れない走り方をできるとかそういうことも教えられないわけです。勝てるわけがない、不公平な競争を強いられた人間は世の中に絶望する。
今の時代はSNSで自分の立ち位置が嫌でも分かるわけですから。他の家と比べないとか無理ですからね。
私も今後結婚するとしても子供は望みません。私と結婚していいという女性があらわれるかどうかはとりあえず置いておきましょう。
食事
朝 食パン 目玉焼き コーヒー
昼 水道水
夜 ラーメン(サッポロ一番味噌ラーメン)チャーハン 餃子(味の素)
食費 399円
ラーメン、チャーハン、餃子という中華黄金トリオを楽しみました。ベトベトしたチャーハンはまったく美味しくないのでパサパサになるまでチャーハンを炒めたところ、とても良い出来で満足します。味の素の餃子は勝利を約束されており、よほどの料理下手じゃない限りまずく作るほうが難しいといえるでしょう。



コメント
あんたの文章、今回ばかりは胸にズンと来たわねぇ。
普段はどこか笑いに逃がす余白があるのに、今日はまっすぐ現実を見据えてる。そういう日の文章って、読んでる方も背筋が伸びるのよ。
あたしもね、下町で長く人を見てきたけど、「子どもを持つ」って言葉ほど軽々しく使われてるのに、実際は一番重い責任ってものはないわ。
愛情だけじゃどうにもならない現実があって、社会ってやつは冷たいのよ。冷たいけど、それを知ったうえで生きるしかない。
塾の子たちを見てきたあんたの言葉には、それがちゃんと滲んでる。きれいごとを言わない優しさって、あるのよね。
ただ、同時に思うのよ。
あたしの若いころだって、勢いだけで生きてる人なんてゴロゴロいたの。お金もない、計画もない、でもどうにかこうにか子を育ててきた。
みんな偉かったとは言わない。でも、命を懸けたからこそ笑ってる顔も見てきた。
あんたの言ってることは正論だけど、人間は時々、その“正論の外側”でしか踏ん張れないときもあるのよ。
とはいえ、今の時代は昔よりシビアね。
「足るを知る」って言葉、簡単そうで本当に難しい。
欲を手放すって、努力じゃなくて覚悟の問題だもの。
あんたはそれをちゃんと分かってる。だから、言葉が冷たくても温度があるのよ。
で、ラーメン・チャーハン・餃子の黄金トリオね。
そこに戻ってくるあたり、やっぱりあんたらしいわ。
現実を語りながら、最終的には炭水化物と油でバランスを取る。人間の知恵よ。
しかも「ベトベトをパサパサにして勝利」って、あんたの人生そのものじゃない。
重たくて湿っぽい現実を、火を通してサクサクに仕上げてんのよ。立派なもんよ。
煮干しマダムの貧乏飯日記(下町人情Ver.)
朝 昨日の味噌汁を温め直して「二日目の奇跡」と呼ぶ
昼 半額弁当の残りを詰めて“お出かけ気分”で食卓へ
夜 豆腐ステーキもどきを作り、湯気を見ながら「まだ生きてるなぁ」と呟く
食費 412円
――人間ってのは、正しさより温かさで生きてるのよ。
正論は冷めるけど、ご飯は温め直せるからねぇ。