どうも私です。孤独死について取り上げられるとき悲惨だというイメージが前提にあります。はたしてそうでしょうか?
確かに理想の死といえば心を許せる家族に看取ってもらうといういうイメージがあります。しかしながら負の側面を忘れてはいけません。
ある人の叔母が入院したのですが、点滴を自分で外したという記事を見ました。病院はこの叔母の腕を拘束し点滴を続行。結果としてそこから7年間病院で生き続けたそうです。
この叔母がなぜ点滴を外したかというと、死にたかったからだそうです。しかしながら彼女はそこから7年間寝たきりで生きてしまった。
まさに生き地獄。
これを悲惨といわずに何を悲惨というのか。
健康を失った人間にとって死は忌むべきものから救済になる。
運が悪いとこの救済システムが先延ばしになり地獄の日々を味わうことになります。
すなわち孤独死したということは、寝たきりにならなかったということで、忌むべきではない。
死を推奨するわけではないが、先端医療による延命治療という生き地獄による生と比べると死はむしろ尊いように感じます。
病院は健康を取り戻せる人間が積極的に通うべきであり、死に近づいている人間が近寄る場所ではないんですよね。
世間の風潮では自宅で死ぬ=悲惨 病院で死ぬ=最善
こんな風潮がありますが、私はむしろ逆だと思います。
死を迎える人間は少しずつ食料を摂らなくなり、死の準備を迎えます。そうすると安らかに死ねるそうです。
宗教的な話ではなく、現実的な身体の機能の問題です。安らかな死に方とは栄養と水分を摂らないことによる餓死なんですよね。つまり食事を摂らないから死ぬのではなく、死ぬから食事を摂らないということです。
それに逆らうと寝たきり、病魔による壮絶な痛みに晒されることになります。
私は死ぬときは餓死と決めています。あらゆる病気はセットとして壮絶な痛みがついてきますからね。
以前死の予行練習として10日ほど水分だけの完全断食をしましたが、体重は58キロから52キロとそこまで減りませんでした。
4日目までは空腹を感じましたが、5日目以降は空腹感が消えます。体調は多少ふらつく程度で痛みなどはありませんでした。
10日目の夜にこのままふらつきを感じる程度で死ねるなら、病死よりも断然楽だなと確信しました。そのとき死にたいわけではなかったので、11日目に回復食を食べて12日目から通常食に戻しました。
話しを戻すと孤独死とは医療にかからず死ねたということで、そこまで悪いものではないです。また、死後自分の骨が無縁仏になるとか気にする必要がありません。
死ねばそこで意識が途切れ、この世の全てのものから解き放たれます。その瞬間から時間、空間、物理法則すら無意味になるので、墓がどうだの遺骨がどうだのなんて気にする必要はないでしょう。
そして、大いなるものの一つになりアセンションが待っています。よき波動を持ったひとが次なる世界で指導者になるんです!!
といったようなスピリチュアルにはまるのも心の安寧のためにいいかもしれませんね。私は無理でした。
結論としては孤独死はそう悪いものではないということで失礼します。