
タレントの坂口杏里さんが窃盗で逮捕されたことが話題になっていました。ネットでは坂口杏里さんは支援が必要な人間なのではないかという論調が目立っています。
このニュースを見ていると、以前家庭教師として受け持った中1男子のS君のことを思い出します。
当初の面談では学校の授業を聞かず、居眠りばかりで勉強についていけない。やる気さえあればできる子なんでとお母様がおっしゃっていました。
しかしながらS君はさぼりがちだから勉強についていけないというレベルではなく、はっきりいえば支援が必要な子だったと思います。
専門家ではないので固有名詞は避けますが、最初の授業でこれはどうしたものかと悩みました。なにしろ小学校低学年レベルの漢字が読めないのです。
漢字が読めないということは教材が読めないということであり、すなわち読み書きから始めるしかありません。
しかしながらここで大きな障害が立ちふさがりました。自分は中学校1年だから小学校低学年の教材で勉強したくないというのです。かたくなでした。
人間はだれしもプライドを持っており、プライドを傷つけようとされると全力で抵抗するということを嫌というほど理解させられました。
S君は多動性で落ち着きがなく間違いを指摘すると奇声をあげることもありました。今のままだと授業を進めていくことは難しいとお母様に相談したんですが、お母様はあの子は感性が人より豊かなだけで普通だから!普通だから!と感情的になってしまいます。
これはもうお手上げだ……罵倒もされたので、これはもうお金だけもらってやってる体で適当にやるかとも思いました。
しかしまぁすぐに投げ出すのもよくないと思ったので、支援が必要な人間の特性を知るために図書館に通って勉強しました。
教材に関してはテキストが小学校1年生だとか幼児向けのイラストを書いていたのが気に障ったのかと思ったので、自作のテキストを用意しました。
S君は間違いを指摘されると癇癪をおこすので、間違いはとりあえずそのままで正解だけを褒めて、後日間違いをもう一度学習させて問題に出すというようなことをやっていた記憶があります。今確認したら日記にもそう書いていました。
一歩ずつでも前進できれば100日後には100歩前進できる。こんなことも日記に書いていました。
ある日の授業、お母様はおらずおばあ様と話す機会があり、私は授業でこういうことをやっていますと報告。
するとおばあさまはそれはよかったといってくれた後、あの子(S君)の母親も簡単な読み書きができないという話をされて、学校で馬鹿にされたということを話してくれました。
私が当時、特殊学級入りを担任の男性に薦められたのに、意地で断ってしまってずいぶん苦労させてしまったと。自分が勉強を教えようとしても無理だったと。
S君の小学校のときはどうだったんですか?と聞くと普通クラスに通っていたそうです。おばあさまは普通クラスはあの子には無理だといったらしいんですが、母親の意向が大きかったと……
歴史は繰り返す。母親というのは我が子が障害を持っていると認めたくないのだなと思いました。
それでも学習の成果はあって、S君は簡単な漢字の読み書きができるようになってきたので、私は嬉しくなりました。
とはいえ学校のテストの点数は当然のことながら酷い点数というか壊滅的です。それでずいぶんお母様から叱責されました。無茶いうなぁ……と当時思っていましたが何も言いませんでした。
そして、いつものように家にいくとおばあさまが出てきて先生申し訳ありませんというので、どうしたんですか?というと母親とS君は家を出ていったというのです。
母親に恋人ができて、その人と一緒になるからと親子で家を出ていったと。S君の指導にわずかながら手ごたえを感じていましたが、あっけなく終了しました。
お茶を出してもらいおばあ様の話を聞きます。今までも恋人ができてはS君をつれて家を出ていくということを何度かやっているということです。振られるか、男の暴力に耐えられなくなったら家(実家)に戻ってくると。私はすでにお役御免といったところでしょう。
今でもS君はどうなったのだろうとときどき考えます。あれから自分で勉強をしているのだろうか?いやしないだろうなぁ……引っ越し先の中学校に通っても授業についていけないだろうし、どういう人生を送るんだろうかと。
よく社会に出たら学校の勉強なんか役に立たないといいますが、義務教育で習う範囲は別です。空間ベクトルの問題を解ける必要はないが、読み書きと算数は必須。
S君は基本的な読み書きができるようになったので次に算数を教えようと思っていました。簡単な計算ができるかできないかで今後の人生が大きく変わっただろうなと思うと、お母様に恋人ができるのがもう少し遅かったらと思うこともあります。
また、S君のプライドを尊重しながら勉強を教えてくれる場所があればよかったとも考えました。まぁそれは本来支援学級だったんでしょう。
これ以降、他人のプライドを尊重すると同時に、自分は分不相応のプライドを捨てなければならない、と心がけるようになりました。
人は分不相応なプライドを持っている人間を忌み嫌い馬鹿にします。嘘で虚像を膨らませても見抜かれ余計に馬鹿にされてしまう。
自分が劣っていると認めることは屈辱的ですが認めなければ次のステップには進めない。
坂口杏里さんの記事を見て思い出した過去の記憶でした。


コメント
あーそれは胸の痛い話ですねえ。
早いうちから支援受けていた方が、その方面の情報も入りやすいし良いんですけどね。軽度知的障害って、なんとかかんとか普通学級でもやれてしまうから却って難しい時ありますよね。
なんとか幸せな人生歩いてくれてると良いんですけどね
早いうちから支援を受けたほうがいいというのは本当におっしゃる通りだと思いましたね。
義務教育では最悪授業中に暴れなければ留年がないので進級できてしまうのは不幸なことだと思いました。
今でこそ発達障害や境界知能などの言葉も認知されるようになりましたが、
ひと昔前までは、そういう言葉も一般的ではなかったですよねー。
本当は年齢で区切らず、その人に合わせた最適な教育ができれば良いんでしょうが、
教育する側の負担も大きいでしょうし、なかなか難しいですね。
しかしチャーチルさんは話の引き出しが多いですね。
そうですね。発達障害や境界知能という言葉はまったく認知されてませんでしたね。
教育する側の負担というのはまさにおっしゃる通りだと思います。
教師が数十人相手に個別に最適化した教育プログラムを作れるかというと無理でしょうしね。
だからこそ親の子供への理解が重要だと感じました。
何か、とてもいい文章で感動しました。
昔で言うところの「読み書きそろばん」はやはり基本ですね。
…その子はチャーチルさんともっと関わっていれば、今頃は違う運命だったかもしれませんね。
人の運命というものの怖さ、難しさを考えさせられました。
チャーチルさんみたいに最善の学習方法を真剣に取り組む教育者は、残念だけれど少ないでしょう。
繰り返しますが、読後に何とも言えない切なさが残りました。
秀逸な文芸誌のようなエッセイを読ませて頂き、ありがとうございました。
確かに昔の人が読み書きそろばんを基本だといっていたのは、それが生きていくための基礎スキルだったからなんでしょうね。
最適化された教育を受けられる環境が人にとっていかに大事かこの時は痛感しました。
文芸誌のようなエッセイと過分なお褒め言葉を頂き大変嬉しいです。ありがとうございました!
自分の子供に障害があると認めたくないという気持ちは理解できるのですが
結局自分の子供の人生や周りの子供たち学校などに迷惑をかけていいことは
あまりないですね
社会に出て長いこと働いてきて仕事関係でもちょっとおかしいなこの人
ということが結構あるので軽い発達障害の人たちえを含めれば結構な割合でいるんだなと
個人的に思っています
わかります…。親の気持ちも現実も、どちらもある話ですよね。
気づくタイミングや受け入れって本当に難しいなと思います。
社会人でもいろいろな人がいますが、自分の特性に気付くだけで改善できますしね。
あらゆる点で完全な健常者って実は少ないのではとも思ってしまいます。
こんにちは。いつも楽しく読ませていただいています。今回少し苦しくもなりすごく考えさせられ、そしてきれいな文章で、チャーチルさんの引き出しの多さに感動もしたのでこうしてコメント失礼しています。タラレバになってしまいますが、もしも私が子供を持つ人生を歩めていたのなら。。子の特性をなるべく多角的視点から残酷でも正確に理解するよう努力していたと思います。自分の考えや判断に自信がないからです。自分が産んだ可愛い子だからと過保護やエゴで、本来はもっと開いたかもしれない子の可能性を、むしろ閉じてしまうのが親として一番怖い事と思います。そんな時、ラッキーなことにチャーチルさんのような先生に巡り会えたら、本来なら『先生、一緒にこの子の勉強・将来を考えていただけませんか』と頭を下げ、先生を多少巻き込んででも真剣に向き合うべきだったと思います。(そのお母様言葉は悪いですがあほんだらです)でも一時だったにせよ真剣に悩み向き合ってくれる先生に会えたことはきっと生徒さんの心に何か残してると思います。。そう思いましょうよ。
長文失礼しました。
「可能性を閉じてしまうのが怖い」というお言葉、胸に刺さりました。親であるがゆえの迷いや葛藤、その中で“正確に理解しようとする姿勢”は簡単なようでとても難しいことだと思います。
また、家庭教師という立場についても、そんなふうに言っていただけて救われる思いです。正解のない中で関わることに迷うことも多いですが、それでも何か一つでも生徒の中に残るものがあればと願っています。
そして最後のお言葉に、少し肩の力が抜けました。
そうですね、きっと何かは残っていると信じたいと思います。
本当にありがとうございました。