どうも私です。虐めやネットでの叩き、誹謗中傷は快楽行為だという記事をみました。なんでも快楽物質であるドーパミンがドバドバ出ているようです。
誹謗中傷がなくならない理由が分かりますね。いくら身体に悪くてもお酒や煙草は辞められないし、甘いお菓子と脂っこい食事は脳がとても喜ぶ。
それと同じように一度虐めや誹謗中傷で快感を覚えてしまうとなかなかやめられないということでしょう。
厄介なのは、煙草、酒、身体に悪い食事、これらは健康に悪いと認識できますが、虐めや誹謗中傷はやっている本人が快楽だと認識できないことです。
その結果どうなるか?正当化です。
虐めている人間は変な奴であるとか、輪を乱すであるとか。誹謗中傷ならあいつは悪いことをやったので自分の行為はむしろ正義であるというとかですね。
しかしながら、だから虐めや誹謗中傷をやめましょうという正論をいってもまったく意味がない。そんなことでなくなるものなら世の中もっと住みやすくなるでしょう。
他人を変えることは無理ですが、自分を変えることはできます。
虐めや誹謗中傷はドーパミンを出すためにやっていると認識するだけで、正当化に意味がないことに気付きます。
人間は快楽が大好きですが、同時に後ろめたいのもいやなんですよね。自分が気持ちよくなるために悪趣味なことをやっていると認識すれば馬鹿らしくなるかもしれません。
私はネットの記事を見て対象を叩きたくなったとき、ドーパミンを出すためだと認識できるようになりました。
こいつはどうしょうもないやつだ、刑務所に入るべきだ!とタイピングしているときにドーパミンがドバドバ出ていることに気付きます。
そして、投稿せずに少し時間を置きます。するとどうでしょう、結構満足しているんですよこの時点で。
それでも投稿したいときは投稿ボタンをクリックしますが、大抵の場合文章を消して終わりです。
誹謗中傷が社会問題になり、法改正により開示請求が通りやすくなりました。ネットでの投稿は名無しではなくリスクがあるんですよね。
これからの時代個人でもリスクマネジメントが必須の能力になります。
どうしょうもなく許せない苛々する有名人がいるとしたら、それ自体がリスクです。
毎日対象を叩いてどんどん過激化した結果、一線を越えてしまい対象から開示請求されてyahooに名前が載る可能性だってあります。
そうなったときは、誰も同情してくれる人はいなく、叩く側から叩かれる側になるだけです。
仏教の瞑想では自分から湧いてくる雑念を他人事のようにただ観察しつづければ心の平穏が訪れるとのことですが、それと似たようなことをやる必要があるんでしょうね。
自分が何に苛々するかを分析する必要がある。他人の分析よりも自分を知ることのほうが人生を充実させることができるのは間違いなく、まさにコスパがいいというやつでしょう。
少し話は変わりますが、私は結婚できないコンプレックスがあり、40代独身は異常者だとか惨めであるという記事に苛々します。逆に40代独身でもこんなに幸せ!という記事を見るのも抵抗があります。
となるとこういったコンテンツに近寄らなけばいいのです。犬の糞が道端に落ちていたとしてわざわざ顔を近づけて嗅ぐのではなく、スルーすればいいですからね。
結論としてドーパミンはたけのこの里で出しましょうということで失礼します。